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大久保 (新宿区)[おおくぼ]
大久保(おおくぼ)は東京都新宿区にある町名。現行行政地名は大久保一丁目から大久保三丁目。 == 地理 ==
大正時代から終戦までは戸山界隈とともに華族や実業家の邸宅街として知られ、前田利為侯爵や安藤子爵、室町伯爵、北大路男爵などの、それぞれ400~500坪から1000坪ほどの邸宅が立ち並んでいた〔川本三郎「郊外の文学誌」p.128-129〕〔加賀乙彦「永遠の都」〕。大久保やその近辺には小泉八雲、西條八十、吉江孤雁、国木田独歩、水野葉舟、前田晁、前田夕暮といった文学者が住み、クラブに集まり、投扇興という京都風の風雅な遊びを楽しんでいた〔西條嫩子「父西條八十」(中央公論新社、1978年)〕。 島崎藤村や下村湖人、岩野泡鳴、戸川秋骨、田岡嶺雲、嵯峨の屋おむろ、竹越三叉、松居松葉、草野柴二、服部嘉香、金子薫園といった文人も住民であり〔菖蒲号 明治43年5月1日 「中央文壇に於ける文士分布図」 〕〔大久保ではないが近隣の百人町や余丁町にも永井荷風、岡本綺堂、邦枝完二、菊池寛が住んでいた(木村梢「東京山の手昔がたり」世界文化社、1996年)。〕、当時の大久保は「樹木に囲まれた閑静な住宅街で、文筆家や芸術家の集まる土地」で〔タウン紙「おおくぼ」No.6 〕「大久保文士村」とも呼ばれた〔茅原健「新宿・大久保文士村界隈」(日本古書通信社、2005年)〕。 そのほか岡田啓介、平沼騏一郎、阿部信行といった歴代総理や、落合豊三郎、東條英教、与倉喜平といった軍人、牧野伸顕、床次竹二郎、警視総監安楽兼道のような官僚も西大久保に住んでいた〔「経済往来」(経済往来社、1984年)第36巻、第1~6号、p.192。〕〔坂の上の雲マニアックス 明治時代の住所録 〕。それと同時に、市民の文化住宅も並び、庶民的な商店街も混在しており〔川本三郎「郊外の文学誌」p.129〕、「山の手に下町が混っていた」「知識階級の子弟もいるけれども、廃品回収業の家の息子もいる」「原っぱもある、住宅街もある、貧民窟もある、それから町工場もある」と大久保小学校出身の加賀乙彦は回想している〔「東京人」1998年2月号。〕。 しかし、東京大空襲で街のほぼ全域が罹災。家を失った住民は街を離れた。1950年の朝鮮戦争の際にGIが日本人女性と情交するための場所としてこの一帯を選び、1960年代以降、大久保の住宅の多くは連れ込み宿となった〔。現在も基本的には住宅街であるが、駅周辺は百人町と合わせて日本最大のコリア・タウンといわれている〔聯合ニュース 2011年2月14日 〕。ただ実際は韓国のみならず、中華人民共和国やタイ、ミャンマー、インド等のアジア諸国、近年はイスラム系の国々も増え、料理店・雑貨店が立ち並んでいる。他には戸山公園、新宿スポーツセンターや大久保スポーツプラザなどの運動施設があり、早稲田大学西早稲田キャンパスや海城中学校・高等学校といった私立中高学校、各種専門学校が多く集まる文教地区でもある。
抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「大久保 (新宿区)」の詳細全文を読む
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